脱原発の理由(案)

いったん事故が起これば被害が甚大

 チェルノブイリ原発事故、福島原発での事故でわかったように、原発事故は、いったん起これば、取り返しのつかない甚大な被害をもたらします。数万年の単位で人が住めないほど大地を汚し、健康被害は世代を超えて影響を及ぼします。一時の電気需要のために、先祖から受け継いできた土地や文化との断絶、これから生まれてくる世代への被害を許すわけにはいきません。地震大国日本に安全な場所はありませんし、テロの可能性まで考慮すれば、どんなに努力しても、事故の発生する可能性をゼロにすることはできません。また、平常時においても煙突から、排水から放射性物質は垂れ流し、周辺環境を徐々に悪化させる原発は、世界中からなくすべきだと考えます。

被ばくの上に成り立っている

 全国の原発でおよそ5万人たちが働いています。その大半は、下請けの人たちです。科学の最先端と思われる原発ではありますが、実際は、床にはいつくばり、狭いタンクの中に体をよじって入り込み、ボロ布でこすって放射能汚染を取り除くといった作業に従事している人たちによって原発は支えられています。毎年、数人から十数人、あるいはもっと多くの人が、ガンで死んでいると言われています。しかし、放射線被曝の危険性の評価は研究者によって大きな開きがあって、実際の被害は正確にはつかめません。
 原発の運転に関わる人たちだけでなく、ウランの鉱山採掘現場や原発で燃やしたあとの燃料の再処理工場などでも、おおぜいの人たちが放射線を浴びながら働いています。この人たちの被曝なくして、原発は成り立ちえません。

民主主義とは相容れない

 原発事故が起きたときに、情報の隠蔽が行われるのは、日本に限らず世界で共通しています。それは原発事故がいったん起きれば、空間的、時間的に被害が甚大すぎて、誰にも責任が負えるものでないため、原発推進者は「事故は起きない」との想定にしか立ちようがないからです。よって事故は隠され、情報は出されず、不透明・不公正な社会になります。原発は根源的に、民主主義の社会とは相容れない存在だと考えます。

弱者の上に成り立つ存在

 原発は、過疎地など人口密度が高くないところに建設されます。万が一事故が起こったときに、都市から距離を置くことで、被害を軽減する狙いからです。大半を都会住民が使う電力にもかからず、その危険を経済的基盤の弱い地域に押し付けています。また常に被ばくに晒される労働者も他に働く場の選択肢がない場合が多いのです。このように、社会的弱者の犠牲の上に成り立つ原発は、差別の象徴とも言えます。

コストが高い

 福島原発事故以降、国においても原発による電気のコストの再計算が行われ、水力や火力など他の方法による発電コストと比べ、安くないことが証明されています。また、その中には、事故が起きたときの補償費用や、長期間にわたる核廃棄物の管理に関するコストは参入されていません。これらを算入したら、更に高値になります。危険な上に、安くもない発電方法をこれからも選択する必要はありません。

最終処理の方法が決まっていない

 原子力発電は、「トイレのないマンション」と例えられるように、廃棄物の最終処理の方法が見つかっておらず、使用済み核燃料は貯まる一方です。最終処分の方法が決まっていないどころか、中間処理場ももうすぐ一杯になります。最終的に使用済みウランが無害化するまでには10万年とも20万年とも言われ、その管理の負の遺産を将来世代に引き渡さなくてはいけません。一瞬の需要のために、長きに渡る管理を子孫に課すことは、人道的に許されないことだと考えます。

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